と或る猫のお噺
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むかしむかし、ある山に一匹の仔猫が生まれました。 雪解けの終わった春の日に、生まれてすぐに親に捨てられたその猫は、腹を空かせたヤマイタチに襲われてしまいました。けれど喰われかける寸前に、ひとりの少年に救われました。 ヤマイタチを追い払った少年は、ぼろぼろの猫を抱いてふもとのあばら屋へ連れて帰ると、熱心に介抱してくれました。数日経ち、猫がすっかり元気を取り戻すと、少年はまた猫を抱いて山へと登りました。 「ねこや、ねこや。おまえも家族のもとへおかえり」 少年はそう言って猫を放し、ひとりで山を下りていきました。 少年には家族がいませんでした。猫はその理由を知りませんでしたが、ひとりぼっちの少年はいつも、とても淋しげに見えました。 なので、猫は少年に恩返しをすることにしました。山神さまにお願いをして、数多の苦難を乗り越えて。五年ののちに猫はようやく、ひとに化ける術を手に入れました。 猫は少女に化けて山を下り、少年のきょうだいとなりました。少年が大人の男に成長すれば、猫は女に化けその妻となり、男の家を守りました。男が老いさらばえた時には、その娘となって最期を看取り、家族と同じ墓の中へと、男を帰してあげました。 猫は少年が死ぬまでずっと、少年の家族であり続けました。 ひとりぼっちだった少年が、もう淋しさを感じないように。 そうしてはじめた恩返しでしたが、少年が死んでしまうと、今度は猫がひとりぼっちになってしまいました。 猫は淋しくなりました。けれどいくらお墓で泣いても、少年はもう起きてはくれません。 悲しくなった猫はまた、少女の姿で山を下りました。ふもとの村の人間達と、共に暮らすことにしたのです。 しかし、少年とふたりぼっちで生きてきた猫は、完全な人には化けきれていませんでした。人と同じ成長をせず、人とは思えぬ美しさをたたえた猫のことを、村人達はいつしか不気味に感じるようになりました。 村人達は話し合い、とある高名なお坊様を村に招くことにしました。そのお坊様によって、猫は正体をあっさりと見破られてしまったのです。 少年の長い一生を共に生き続けた猫の尾は、いつしか二つに裂けておりました。そのため猫は『猫又』と名付けられ、妖怪として村を追われる身となりました。お坊様と村人達にひどく痛めつけられた猫は、それでもひとつも抵抗せず、やっとの思いで山へ逃げ延びました。 猫はひとりぼっちのまま、山で生きるようになりました。普段は山奥に隠れ住んでいましたが、雪解けが終わった春の日にだけは、必ず少年の墓へと参っておりました。 それを知った村人達は、あくる日揃って少年の墓へと参りました。そうして、物言わぬ粗末な墓石を、見る影もないほどに打ち壊してしまったのです。おそろしい猫又がもう二度と、村の地に足を踏み入れぬように。 猫は悲しみと怒りに泣き狂い、身に秘めた力でもって、とうとう村を焼き滅ぼしてしまいました。悪業の末に本当の妖怪へと成り果てた猫又は、その村からもふるさとの山からも、少年の墓跡からも、姿を消してしまいました。 ……それから、幾年にも及ぶ歳月ののち。 のどかで平和な田舎村で、小さな御伽噺が広まりました。 山で迷子になった子どもの前に現れる、と或る不思議な猫のお噺。 古ぼけた髪飾りを身につけたその猫は、二つに裂けた尾を気ままに揺らし……ちょっとだけ遠回りをしたあとに、家族のもとへと帰してくれるのです。 と或る猫のお噺 おしまい