在りし日の文通
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人生に転機が訪れたのは、5年生へ進学する3か月前だった。 アシュリーは入学を知らせる弟からの手紙に返信を出すため、便箋を購入しに売店へ向かった。陳列していた文通雑誌を何の気なく捲っていると、風変わりな募集が目に留まる。 「この問題を好きになってくれた人へ」と書かれたその募集には、自作であろう数学の問題が記載されていたのだ。 アシュリーは問題を数秒見つめた後、便箋と文通雑誌を購入して寮部屋へ急いだ。ペンをとり、彼の問題と、その解に対する己の見解を夢中になって書き連ねた。そして最後に、思いついたばかりの図形の予想を書き加えて郵送した。 直後は返信を心待ちにしていたアシュリーだったが、一晩経つ前に希望を捨てた。期待をすれば、また自分が傷つくことになる。幼少期の苦しみを思い出したアシュリーだったが、返信はたった5日後に届いた。便箋5枚分の手紙には、アシュリーの予想に対する証明と感想が記されており、この上ない締めくくりの言葉がそこにあった。 「どうか、私の文通相手になってくれないか?」 それが、ジェームズとアシュリーの文通の始まりだった。 ...three month later........................ 親愛なるジェームズ 朝早くに目が覚めたので、君への返信を書いている。今日は珍しく雲一つない晴天で、僕に1689を彷彿とさせた。 乱雑なように見えて、実にシンプルで美しい数字だと思う。 君はどう思う? 意見を聞かせてほしい。 それから、僕の定理への証明をありがとう。きみの証明はいつも面白い、僕はとても好きだ。雛の群れに一匹の家鴨が迷い込んだかと思えば、そのまま全員で手を繋いでケーリー・ダンスを踊り始めるみたいだった。君の証明を見て、思いついたことがあるんだ。これはどちらかというと、聖歌隊の合唱に似ていると思うのだけど…… (以下、いくつかの公式や定理の羅列が並ぶ) ・ ・ ・ そういえば、僕の学校に弟が入学するらしい。想定外の事態だ。母は彼を、僕とは別のパブリックスクールに入学させるものとばかり思っていた。 どうしたらいいだろう。僕は学校で変わり者のふるまいを行っているし、事実僕は変わり者だ。けれど弟はそうじゃない。なのに、僕と彼が血の繋がった兄弟であると知られたら、彼まで同じように思われてしまうかもしれない。つまるところ、変わり者の烙印を押されかねないかと心配なんだ。 それは彼にとって不都合なことだろうし、望むところではないと思う。僕はこんなことを明かす友人もいないし、弟が言わない限り、彼と僕の関係はすぐには露呈しないと思うのだけれど……なるべく接点を持たないように努めようと思う。 ジェームズ、君に兄弟はいるのだろうか? 僕は数字が好きで、君のことも好きだ。僕は君をもっと知りたいと願っている。だから、君のこともたくさん教えてほしい。 敬意を込めて アシュリー 親愛なるアシュリー 美しい数字だ。なるほど、素数たちのハミングが聞こえるってことかな。 単純な素数よりも、合成数の方が最近はよっぽど色がキラキラしているんじゃないかと思える。素数の、あの、ペンキのような色も美しいのだけれど。私は1909の気分かな。藍色だけれど、全てが整っていると思わないか。 その公式も初めてみるものだ。展開してみたがやはり何度、どんな数字を代入しても美しい答えに辿り着く。 要素としては…… (以下公式の証明) ……アシュリー、君には兄弟がいるのか。とても羨ましいね。言うなれば君は2ということ。美しいひとりぼっちの素数だ。私も2になれるのだろうか。合成数にも素数にもなれないように思えてならない。 ……君は兄弟を大事にできるとてもいい人みたいだ。君の弟ほど幸福な人はいないと私は思う。 君も弟も、羊と林檎を共に愛するのを、私はおすすめするね。なぜならどちらも美味しいから。 ージェームズ 追伸 少なくともスチームアイロンは良くない。ルームメイトに聞いてみるのはどうだい?隣人はいつも君の味方だよ 親愛なるジェームズ 君ならわかってくれると思ってた!(万年筆の筆跡が乱れている) その数字を見ると、僕も心が落ち着く。9091は随分とはっきりした赤色なのにね。数式ならどう?僕はこれが好きなんだ。 10^4 – 10^3 + 10^2 – 10^1 + 10^0……昔、母に贈るプレゼントに書いたこともある。気に入ってはもらえなかったけど……。でも6歳の僕は、この可愛らしい数式が本当に大好きだったんだ。 (以下、証明に対する感想が続く) ジェームズ、確かに弟はとても素晴らしいよ。この前も話したかもしれないけれど、彼は僕が公式や定理を考え付くことと同様に、息をするように自然に人に感性を理解され、人を理解し、人に愛されるんだ。やはり彼は、人としての天才なのだと思う。弟は12に似ているよ。極めて身近で優しく、愛される数字だ。彼だけで完成されているんだ。 君は僕と彼を美しい数字に例えてくれたけれど、僕はどうしても、自分がそうなれたとは思えない。僕は不要な1だ。だからこそ、弟と一緒にいてはいけない。世界一忌避される数になってしまうもの。僕は嫌いじゃないのだけれどね。 でも、もし君もそうなら……僕らは君の言う通りの、『美しいひとりぼっちの素数』になれるだろうか?それなら、とても嬉しい。 でも残念だけど、僕はラムは苦手だ。僕の分は君にあげる。野菜は大好きだけど……世界一有名な兄に似ているのは、そこだけでありたいものだね。 アシュリー 追伸 どうか三日前の僕にこう忠告してほしい。 「“スチームでなければ問題なし”とは思わないように」 返信が途切れて数日後。 彼の最期の手紙は、思わぬ形で……望まざる形で、アシュリーの下へ届くことになる。