2/3 学校生活と、小さな林檎の飴玉の話

 学校生活というものは、想像よりもはるかに有意義だった。  教団では知れなかった常識や、学校というコミュニティにおける処世術を、こうして実地で学べるのだから。  教団からは、厳しい門限や学校内で起きた出来事の報告など、さまざまな規則が課せられた。慣れないことばかりだったが、元より要領の良い千種は、それらにもすぐ順応できた。クラスメイトと「普通」に話す術だって存外簡単に身に着いたし、勉学の面で頼られることも増えた。珍しい己の髪色の誤魔化し方だって楽なものだ。ただ少し、言いづらそうに目を伏せて、困ったように微笑めばいい。良識ある一般人は、これだけでおおよその理由を勝手に察してくれる。…とはいえその理由は、当然彼らに想像できる範囲の空想でしかないわけで……まさか神の寵愛によるものだとは、誰も思わないだろう。  勉学に没頭するのは心地よかった。彼らに馴染むのは容易かった。  それでも彼らと自分とは、どこか別の生き物のような感覚がした。 「戻りました」 「おかえりなさい、神官様」  正門を守る古株の男がひらひらと手を振る。こんな挨拶が日常になるなんて、数か月前には想像すらできなかったことだ。……一体何の気まぐれで、こうして赦しをくださったのだろうか。あの朝に問いかけようとして、千種は結局口を噤んだ。“無駄に鳴く雉になってはいけない。”——この数年間で千種が得た教訓だ。  手洗いを済ませ、自室の扉を開ける。他の教団員よりも広く与えられた部屋の奥には、大人が三人並んで眠れるほどに大きなベッド――とはいえ、神の寝所や儀式の間のような規格外の寝台にはとうてい及ばないが――がある。そこに寝そべる二つの影を認め、千種はすっと背筋を伸ばした。 「スラー様、ラース様。なぜこちらへ……」 「なぜって」「暇だったからだけど」 「まあここにいても暇だったけどね」「変わらなかったね」 「でもチグが帰ってきたし」「これで暇じゃなくなるよね」 「ねえ、何するの?」「チグ、今から何するの?」  交互に問いかけてくる双神は、ベッドから身を起こして歩み寄ってくる。何かあったのかと身構えていたが、どうやらいつもの気まぐれらしい。変わらぬ様子に内心ほっとしながら、千種は通常通り学習机に鞄を置いた。 「授業の復習と……新しい本を図書室で借りたので、それも読んでしまおうかと」 「ふーん」「どんな本?」 「面白いやつかな?」「つまんないやつかも」 「お読みになりますか」  椅子に座った千種は鞄から本を取り出し、両手で差し出した。双神が「ふーん」「へえ」なんて声を漏らしながら表紙を眺めているうちに、他も片づけてしまうべく鞄を漁る。すると、指先にかさりと何かが当たった。取り出してみれば、入れた覚えのない手のひらサイズの小袋が一つ。ジッパー付きのそれは、おそらくコンビニで売っているのだろう、何の変哲もない飴の袋だった。千種は遊んだことのない、流行りのゲームキャラクターが印刷されている。  パッケージ裏には、「全部食っていいよ」とボールペンで走り書きがされていた。綺麗とは言い難いその字を見て、ああ、と今朝の出来事を思い出す。たしかホームルーム前に、美味いからと隣席の友人に勧められたのだ。そのあとすぐに教師が入ってきたから、結局貰わずじまいだったのだが……いつのまにか、鞄の中に放り込まれていたらしい。  ジッパーを開けると、林檎の香りが漂った。一粒口に入れてみれば、予想通りの甘い味。 「「なにそれ」」  降りかかる声に顔をあげると、双神が揃って千種を見下ろしていた。どうやら本にはすぐに飽きてしまったらしく、机の端に雑に投げ置かれてしまっている。それにちらりと視線をやったあと、千種は「飴です」と簡潔に答えた。 「飴ぇ?」「チグ、買ってきたの?」 「いえ……いつのまにか、勝手に鞄に入れられていたようで」  友人に、と付け加えながら、口の中で飴玉を転がす。安っぽい人工甘味料の味を感じながら、片付けを進めようとしたときだった。 「ねえ、チグ」「飴より美味しいものあげる」  聞き返す暇もなく、学生服の襟首を猫にするように掴まれる。同年代の中でも体格の良い千種を、ひょいと持ち上げたのはどちらの神か。ともあれ千種の身体は、そのままベッドの上へと放り投げられた。柔らかなマットのおかげで痛みこそないが、衝撃で口からこぼれた赤い飴が、シーツの上に転がっていく。思わず目で追うと、仰向けに倒れこんだ千種の上に影ができた。視線を移せば、眼前には鼻先を叩く肉棒が晒されている。 「ぁ、……」  無意識に漏れる、微かな声。慣れた淫猥な精の匂いに、自分の中のスイッチがぱちりと切り替わるのを感じた。  そんな千種を見下ろして、双神は下知する。 「ちゃんと舐めて」「できるよね?」  乱れ始めた息を呑み込んで、千種は黙ったまま頷いた。屹立せずともずっしりと重い幹から視線を逸らし、舌を這わせる。慣れた奉仕を行いながら、千種は学生服のボタンを外した。シャツと違って、上着はこの一着しかないのだ。自分に理性があるうちに、汚れないよう遠ざけておきたかった。  神官の自室に、神に乗り上げる不敬を咎めるものはいない。  一糸纏わぬ姿のひとのこは、彫刻のように美しい腹筋に両手をつきながら、ゆっくりと御身を己の中に沈めていった。弱い内壁をごりゅごりゅと擦られながら奥を暴かれる感覚に、あっけなく、声すら出せずに達してしまう。 「そんなに気持ちいい?」「自分で挿れただけなのに?」  ラースは揶揄うように腰を動かし、スラーは快楽にふるふると突き出した舌をちろりと舐めあげる。舌先に吸いつかれ、甘く食まれては離れてを繰り返されると、口づけに殊更弱い千種の瞳は、黒蜜のようにとろりと蕩けていった。 「中、きゅうきゅうしてるよ」「甘えてるの?」  とん、と、切っ先が最奥に当たる。それでもまだ、尻に下映えが当たる感触はしない。ここまできてもなお、すべて飲み込みきれてはいないのだ。 「ぉ゛、ひッ……♡」  最奥をノックするように、何度も下から揺すぶられる。止まらない酷い声を震える両手で抑え込むけれど、その手はすぐに捕らわれ外されてしまった。自由になった唇を、千種は咄嗟に噛み締める。声変わりの済んだ、低い嬌声など漏らしたくなかった。なのに神は、そんな小さな抵抗すら赦してくれないようだ。 「だめだよチグ」「口開けて」  逆らうことなどできるはずもなく、千種は羞恥と怖れに表情を歪めながら、言いつけ通りに口を開いた。「いいこだね」とスラーがわらって唇を重ね、奥へ縮こまった舌を引きずり出すように吸いつく。それだけで途端に身体の強張りが緩み、慣れた雄膣も柔らかく解れはじめた。千種が自らきつく課せた理性の枷も、同じくどろりと溶けていく。  自分が自分でなくなるような感覚に、ぞくりと背筋が震えた。快楽から、だけではない。そこには、心の底からの恐怖が混じっていた。無骨に育ったこの身体で、醜く快楽に溺れる様を晒すことは、今の千種にとってなにより恐ろしいものだったからだ。  この身体で、彼らが望まない痴態を晒してしまったら?  この声で、興を削ぐような言葉を口走ってしまったら?  彼らが時折信者に向ける氷のような視線を思い出し、冷え切った指で心の臓を掴まれたような感覚がした。あの眼がもしも自分に向けられてしまったら。あの本のように、「もう要らない」と放り出されてしまったら……。  なけなしの理性で留まろうとする千種とは正反対に、双神は愉快そうにクスクスとわらう。 「気持ちいい?」「まだ足りない?」  すらりと伸びた片方の手が太腿を、もう片方が胸を撫でた。粟立つような快楽に、千種は短く悲鳴を上げる。 「だったらもっと気持ちよくしてあげる」「チグが大好きなことしてあげる」  長い指が胸を滑り落ち、腿を伝って。臍の下、男には備わっていない子宮の位置でぴたりと触れ合った。恐ろしい快楽の予感に、我知らずひゅっと喉が鳴る。そんな千種の様子に、二柱の神は愉しそうにクスクスとわらいながら……広く大きな掌を、ぐうっと内へと押しこんだ。 「ぉ゛っ……ぁ、あ゛……~~~~~ッ……♡♡」  脳天まで一気に駆けあがった快感に、僅かな理性も完全に溶けきってしまった。萎えた肉茎からぷしゃりと漏れ出るのは、水にも似た匂いのない透明。千種の丸い後頭部を片手で掴み、舌先をちろちろと絡ませ焦らすスラ―に夢中で応えながら腰を揺らせば、ラースが嗜めるように尻たぶを掴んで爪を立てる。鈍い痛みさえも快楽に変わり、千種は弱弱しく震える性器をしとどに濡らして喘いだ。けれど緩やかな抽送は、何の脈絡もなくぴたりと止まる。スラーも同時に口付けを止め、千種から一度顔を背けた。そうして、長い手を伸ばしたかと思うと……何かをひょいと摘み上げる。 「ねえ。いる?これ」  眼前に見せつけられたのは、溶けた赤い飴玉だった。  働かない頭で、千種は数秒かけてそれを認識した。認識こそしたものの、問われた意味がわからなかった。どうして、そんなことを聞くのだろう。そんな当たり前の答えを、何故?  快楽の波に置き去りにされた胎が、甘えるようにきゅう、と収縮する。目の前の神を見つめても、飴玉を手にしたまま、いつもの笑みを浮かべるだけだ。千種はくしゃりと顔を歪めると、ふるふると首を横に振った。要らない。そんなもの要らない。今欲しいのは、いつだって、自分が欲しいものは……。  スラ―さま、ラースさま、と名を呼んで、千種は泣き出しそうな顔で舌を突き出した。もう、千種は解っていた。外を知ったからこそ、どうしようもなく理解してしまっていた。  どこにだって、外にだって。  神の“寵愛”に勝る甘美など、この世にひとつもありはしないのだ。 「いいこだね、チグ」「チグは素直で、いいこだね」  ひとかけらでも理性があれば決してしないだろう素直な”おねだり”に、双神はまたクスクスとわらう。そうして、ご褒美だよと声を揃えて、再び千種に触れてくれた。  スラーは大きな両手で千種の両耳を塞ぐと、健気に待ち侘びる舌をじゅるりと吸う。ラースは掴んだ腰骨を抑え込み、御身をぐぷりと奥へ潜り込ませた。脳に響く水音に、全てを暴かれる悦びに。弓なりにのけ反った身体が痙攣し、ばちばちと白い火花が散る。  ひとのこに過ぎたる快楽は、理性だけでなく記憶をも蝕むようだ。蜂蜜酒に溺れる酒好きのように、起こった出来事を朧げにしか覚えていられないことも、ともすれば全て忘れてしまうことさえあった。明日目覚めるときには、きっと千種は覚えてはいられないだろう。こうして神の背に腕を回して縋る不敬も、何度も神の名を呼ぶ無礼も。  いつだって、あの時からずっと。  “千種”のすべてを覚えているのは彼らだけだ。 「「チグ」」  双神がわらう。彼らによって授けられた名を呼んでくれる。金の瞳が己を見ている。今はまだ、この身を余さず抱いてくれる。  恐怖と背中合わせの、愚かな喜び。身も心もぐちゃぐちゃにかき乱されて、千種はいつしか意識を手放す。  溶けた赤色は頭の片隅にさえ留まることなく、忘却の暗闇に転がり落ちた。