あれから千種は、村から出ることを一切赦されなくなった。  当然だろう。あの一夜だけで、教団員が半数近くも減ったのだから。それにもしも許可が下りたとしても、千種自身、もう外に出るつもりなどなかった。  若き神官と二柱の神とのオルギアは、三日三晩止まることなく続いた。  蹂躙のさなかに問われた言葉も、自分がそれに何を返したのかも、千種は何も覚えていない。覚えているのは、あの後すぐに古株の男が見知らぬ人間達を連れて部屋に入り、まだ息のある団員と物言わぬ死体とを回収していたことくらいだ。  男達は、千種を一切視界にいれることはなかった。神の余計な怒りを買わないようにだろう。それでも千種は、助けを叫んで手を伸ばした。瞬間、伸ばした先にいた男の首が跳ね飛ぶ。己の顔の横で揺れる触手に、千種は悲鳴すら失った。 「僕らが目の前にいるのに」「誰に助けを求めてるの?」  二つの声は、珍しく苛立たしげに揺れていた。残った信者達は我先にと逃げ出し、重厚な扉が閉められる。行き場を失った手を骨が軋むほど強く掴まれ、学生服を引き裂かれ。指先ひとつ動かせなくなるほどに、心も身体も犯され尽くして……四度目の朝日が昇る頃、千種はようやく解放された。 「あ、起きた」「やっと起きた」  両側から同時に声が聞こえる。寝台の上に寝そべり、千種の顔を覗き込みながら、スラーはもはやぼろ屑と化した黒い布切れを摘み上げた。辛うじて付いているのは、校章入りの金のボタン。 「ねえチグ」「これ、まだいる?」  問われたと同時に、繋ぐ糸がぷつりと切れ、ボタンはシーツにぼとりと転がり落ちた。鈍く光るそれに執着心などなかったが、枯れた喉は咳しか産まない。黙ったまま首を横に振って意思を示せば、双神は子どものように遠慮のない力で、千種を挟むように抱きしめた。 「「いいこだね、チグ」」  大きな掌が、頭を、首を、胸を、背中を、太ももを撫でる。彼らにしては優しい手つきで、ゆったりと撫で上げていく。……外へ行きたいと懇願した、あの夜のように。  責め具の果てに得た外の世界を手放す選択に後悔はなかった。千種の中には、ただ安堵だけがあった。どんな理由があろうとも、千種が教団の定めた約束事を破ったことに変わりはない。この教団は彼らのためのものだ。即ち、教団の意思に背くということは、双神に背くことと同義だ。だからこそ彼らはこれほどの怒りを示したのだろうと、千種はそう考えていた。  殺されたって仕方のない罪を犯してしまった。けれど、それでも千種はまだ生きている。もう要らないと放り出されることなく、彼らに身を捧げる信仰を……彼らの傍にいることを、彼ら自身が、まだ赦してくれている。  無意識に、ぽとりと涙が溢れた。双神は顔を見合わせた後、クスクスとわらって千種をもう一度抱きしめ、頬を滑る透明を舐めとっていく。  神の身体はひどくつめたく、なによりもあたたかい。ふわふわと輪郭を失い始める意識の中、千種の脳裏に、己にとっての最古の記憶が蘇る。鼻につく鉄と精の匂いが充満する孤児院。ひとり生き残った自分を拾い上げ、双神はこう仰せになった。 「「その命、僕らのために使ってくれないかな?」」  もとより拒否権などはない。神が下知したその時点で、己の運命は彼らの手の上にあったのだ。  何一つ恐れるもののない空間で、子猫を懐かせるように甘く可愛がられた一年も。そうして彼らによって育まれたものを、全て奪われた翌年も。双神が与え給うた全てが、今の自分を……”千種”を形作っているのだから。  だからこそ、最期の最期まで、どうかその手の上にいさせてほしかった。放り出されたくなどない。今更自由にされたって、もう自分は彼らなしでは生きられない。  彼らのすぐ傍にいたい。他の信者よりも、誰よりも近くにいたい。イカロスは愚か者だ。救いようのない莫迦者だ。ああはなりたくない。なるつもりもない。けれど。  誰よりも神に近づけたあの瞬間、彼は、至上の幸福を知ったのではないだろうか。地に堕ち身が砕ける恐怖さえも、どうでもよくなってしまうほどに。 「チグ」「ねえ、チグ?」  甘く名を呼ばれ、千種は我に返った。太く育った首筋に巻かれたチョーカーをなぞりながら、双神は問う。 「「チグは、誰のもの?」」  己だけを見下ろす、金の瞳。  何よりも恐ろしく、何よりも求めてしまう、四つの光。  千種は枯れた喉を搾り上げ、名を呼んだ。 「おれは……スラー様とラース様のものです」  柔らかさを失った、武骨で醜いこの身体も。  憤怒と嫉妬に塗れた、欲だらけのこの心さえ。  貴方がたが望んでくださるのなら。 「千種のすべては、我が双神のためにあります」  金の瞳が三日月に歪む。  二柱の神は等しくわらって、千種の耳元で囁いた。 「「いいこだね」」  首筋に口づけが落とされる。柔く、甘く、食むように噛み付かれる。仄暗い喜びをただ享受していたくて、千種はそっと目を閉じた。  オルギアは続く。  与えられた箱庭の中で。二柱の神の手の上で。  千種はただ、彼らを求めて息をする。  →7年後、Sibyl本編へ